今回は、非常に繊細な話を致しますが、これはかねてから私自身も様々な実体験と臨床の現場にても感じてきたことなのですが、人の体の症状や疾患は、純粋な身体的問題で起きている場合もあれば、感情的なトラウマや精神的ストレスなども関与して引き起こしているケースが多くございます。
オステオパシーにおける原則として、人とは、体(BODY)、心(MIND)、精神(SPIRIT)という三つの要素が三位一体となって相互に関係し合いながら生きてると言えます。その三つのバランスが著しく崩れた時、何らかの症状や病変を引き起こすことも少なくありません。
例えば、何らかの自動車事故を経験したとします。その事故による不意の衝撃を緩衝しきれなかった時、体はその衝撃を記憶して、ある意味、体にその衝撃の痕跡を残すことになるのですね。それが後になって、体の機能を乱すことがあり、例えば、ムチウチの様な症状や様々な症状を引き起こすことがあります。
そうした物理的な『構造的異常』が原因で症状が起きているならば、オステオパシーではそうした構造的異常を見つけ出して、それを改善しようと試みるわけです。
しかし、もうふたつの要素である、心理的・感情的トラウマ、精神的・スピリチュアルなトラウマというものも存在し、それが病変の原因となることもあるということですね。
先の自動車事故を例にとると、例えば、肉体レベルでの構造的異常が解消されたとしても、万が一、その人がその事故による『恐怖』を心に刻み込み、それがトラウマになっている場合、その心理的トラウマを治癒に向かわせる必要が場合によってはあるということです・・・。
さらに、万が一その事故によって友人や恋人を亡くしていたならば、 全く違うトラウマ、スピリチュアルなトラウマが痛みや症状に関わっている可能性があるわけです。
もっと言うと、例えば親密だった妻に先立たれた、小さい頃に受けた性的暴行、夫婦喧嘩が絶えなかった親の記憶、親しい友人の自殺など、そうしたトラウマが何らかの病変を引き起こすことも充分、有りうるということです。
オステオパシーでは、そうした心理的トラウマ、精神的トラウマとも言うべきものに向けても改善に向かう様、施術することも試みられてきました。また、実際に快方に向かう例もございます。
そうした実際の臨床例が研究されてくるにつれ、いよいよ、人の体というのは、単なる物質的な肉体以上の何かと言わざる終えない事例が数多くあるんですね。
まあ、こうした話は日本人には非常に親しみのある話かもしれませんが、それが西洋的な実際の科学的な研究の中でも、科学的に認められてきたというところが昨今の興味深いところです。
心(MIND)と精神(SPIRIT)というと微妙に層の違いがありますが、明確な境目があるかと言えば少々難しいことかもしれません。例えば、瞬間的に怒りを感じるような事象が起きた時は心理的領域と言えるかもしれませんし、親の死などによる大きな悲しみはSPIRITレベルで起きるとも言えます。いずれにしても、肉体と心と精神(SPIRITは、霊性・魂とも訳されます。)の三位一体で、相互に関係しながら、人は生きているということは、否定しようのない事実であると思えますし、実は科学的にも実証されつつあるようです。また、オステオパシーのみならず、遠く離れた場所から発祥したチベット医学、ヨガ、ネイティブアメリカンの思想などでも細部に渡る違いはありますが、人という存在をBODY、MIND、SPIRITと捉えていることは非常に興味深いことです。魂と言うと、どうも宗教的なニュアンスに受け取られる危険性もありますが、昨今ではスピリチュアルという言葉は非常に一般的に使われるようになりました。それだけ、そうした意識を持つ人が増えたということの裏返しの様に想います。
また、心理的・感情的トラウマや精神的・スピリチュアルなトラウマが肉体に投影されていることも多々あり、オステオパシーではそうした心理的・精神的トラウマが表現された身体の緊張に向けて施術を行うことで、症状や疾患が快方に向かうということもございます。
ただし、注意しなければいけないのは、こうした心理的トラウマや精神的トラウマにオステオパシーでアプローチすることがあるといっても、おそらくは、トラウマそれ自体を施術者に消すことはできません。それほど、人とは単純な存在ではないと言えます。
あくまで、オステオパスはそうした心理的トラウマ・精神的トラウマが関係する脳の緊張や体に表現された拘縮を改善し、よりその方が良い方向に向かうよう手助けをするというレベルに留まります。なぜ、私がここでこういうことを付言するかと言いますと、人の生命の奥深さを日頃の臨床などで痛いほど感じているからです。
もし、治療家やオステオパスで、人の心理的トラウマ・精神的トラウマを私は治せますという人がいたら、私はその人のことを信用しないでしょう・・・。それは、その治療家の奢りから来るようにも思えますし、オステオパスはまず、人の身体に対峙する時には謙虚さを忘れないことが大切であると、私自身強く感じています。
物議を醸し出しそうな内容のコラムですが、やっとこ、昨今の最先端の研究で、科学的裏打ちがされてきた事実だとも思います。
長くなりましたので、今日はこれで・・・。