オステオパシー創始者
アンドリュー・テイラー・スティル
M.D、D.O (1828~1917)
スティル博士は医師でありながら当時流行していた髄膜炎により3人の子供を亡くすという悲劇を経験しました。また当時の手厚い看護と医療を受けたにも関わらず助からない人々がいる一方で、医療や看護を受けることもままならない人々が回復していく事実に疑問を抱き、人体に対する独自の研究を始めていきます。自らの子供を、今まで実践してきた医学で助けることができず、悲しみに打ちひしがれるなかで、MD(メディカルドクターの略)だったにも関わらず、38歳の時にその全てを投げ打って独自の探求を始めたのです。自然科学をはじめ解剖学、生理学、病理学、そして広範囲の緒科学を徹底的に学び直し、人体を、人間を、あらゆる角度から研究しました。
そして約10年の研究の後、1874年にスティル博士は世にオステオパシーを発表しました。しかし、当時の医学界からは強い抵抗に合い、受け入れられることはありませんでした。それでもスティル博士は自分の信念を貫き通し、オステオパシーにより様々な場所で施術して周りました。当時の記録には、筋骨格系の症状のみならず伝染病や内臓疾患にも驚くほどの効果があったと記されています。
最終的に行き着いたのがミズーリ州にあるカ―クスビルという小さな田舎町でした。そこには噂を聞きつけ施術を必要とする人々が集まったため、ホテルや食堂もできるまでになり町が大勢の人々でにぎわうきっかけにもなったというエピソードがございます。
1892年にはカークスビルに最初のオステオパシーの学校"American School of Osteopathy"が設立され、現在も“A.T.STILL UNIVERSITY”として存在しています。
また現在オステオパシーはアメリカでは医学として公認されており、
医師として手術や投薬など全ての医療行為が許されています。
今ではアメリカ本国のみならず、イギリス、フランス、ドイツ、ロシアなどのヨーロッパ諸国や、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、ブラジルなどの南米等、多くの国々においてもオステオパシーの教育や研究が盛んに行われ、現在も発展し続け、多くの国々で広まりを見せています。
付言しておくと、D.Oという肩書は、アメリカではドクター・オブ・オステオパシー(Doctor of Osteopathy)の略で『医師』という称号を与えられています。それ以外の国では、ディプロマ・オブ・オステオパシー(Diploma of Osteopathy)の略で、主にオステオパシーカレッジが独自の民間資格を設けています。
今現在、日本人のオステオパス(オステオパシーを実践する施術者の略称)は海外のオステオパシーカレッジなどで学んだ人以外はD.Oの称号を持たない人がほとんどですが、日本においても質の高い、世界基準のオステオパシーが広まりをみせています。
1892年にはカークスビルに最初のオステオパシーの学校"American School of Osteopathy"が設立され、現在も“A.T.STILL UNIVERSITY”として存在しています。
また現在オステオパシーはアメリカでは医学として公認されており、
医師として手術や投薬など全ての医療行為が許されています。
今ではアメリカ本国のみならず、イギリス、フランス、ドイツ、ロシアなどのヨーロッパ諸国や、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、ブラジルなどの南米等、多くの国々においてもオステオパシーの教育や研究が盛んに行われ、現在も発展し続け、多くの国々で広まりを見せています。
付言しておくと、D.Oという肩書は、アメリカではドクター・オブ・オステオパシー(Doctor of Osteopathy)の略で『医師』という称号を与えられています。それ以外の国では、ディプロマ・オブ・オステオパシー(Diploma of Osteopathy)の略で、主にオステオパシーカレッジが独自の民間資格を設けています。
今現在、日本人のオステオパス(オステオパシーを実践する施術者の略称)は海外のオステオパシーカレッジなどで学んだ人以外はD.Oの称号を持たない人がほとんどですが、日本においても質の高い、世界基準のオステオパシーが広まりをみせています。
私は単に、あなたが何者であるかを教えようとしているだけだ。あなたには健康になる権利があるのだと。
あなたが他の療法を試した末にうまくいかず、最後にオステオパシーに至った時、
あなたは私のする仕事の基礎に、自然の礎を置いていることが分かるだろう。
By A.T.STILL